【よ】 

 

喜びは 通う心に 花が咲く

 

 

貴方にとって幸せとは何ですか…と問われたときに、その答えを正確に言葉として表現できる人は少ないはずです。

何らかの形(所有物)を得ることが幸せだとしても、その形(所有物)そのものが幸せではなく、所有物を何のために得たかったのか…の理由が心の奥には存在するからです。

その心の奥なる理由にも更なる根源的な理由が隠されている。

こうした幸せ追求の理由(解答)を、どこまで深めた状態で掴んでいるかが、その人なりの現状での悟りの高さ深さを如実に現している。

これは夢を追い求める人も同じではありますが、その夢の実現を目指す理由は何ですか…と問われたときに、夢の達成そのものが目的であるなら、その夢はまだ自己実現の枠内に治まっているだけで、夢を実現するための本当の理由は、もっと心の奥地に存在するし、さらに根源的なる理由が心の聖地に隠されているはずなのです。

こうして夢追い人にも心境に応じた悟りの高さ深さが見え隠れしているのです。

自己実現の達成は、喜びも楽しさも計り知れない幸福感に包まれますが、その悦楽は何処まで行っても個人の所有感情なのです。

もちろん個人的な夢達成でも、その後ろ姿を尊敬の念で追い求める後世の目標にはされますが、そうした思考的高揚や具体的努力の成果は、やはり後世人本人のものであって、幸福感を合算しても足し算に他なりません。

しかし本来の夢追いは、心の聖地に存在する根源的な理由に到れば、人と人との心と心を結ぶほどの自他一体を観じさせる感性を豊かに育むものなのです。

ようするにこの場合の幸福感を合算するなら、足し算ではなく掛け算になり、結びの心が深まるごとに幸福感性は天文学的数値となって、人から人へと伝わってゆくのであります。

たった一つの種や苗木(子木)が生長して、やがて多くの実を稔らせ、沢山の花を咲かせる神秘は、そこに根源的な生命の結びが存在しているからです。

古事記に書き記されているように、山野を選り分け分断(独占欲に向かう)することで、やがて互いに争い合うと預言しているように、どうしようもない人間の哀しい性は戦争を容認するに到りました。

命あるものは生きてこそ(活かしてこそ)生命なのです。

殺戮や掠奪に奔走する者は、人としての心を見失なった迷盲者(精神異常者)に他なりません。

 

 

 

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