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012 妥協と諦めの違い |
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失望怠惰に取り巻かれると、考えることが億劫となり、徐々に思考回路を破壊されてしまいます。 物事を考える習慣が無くなれば、人間も生きる屍(物質化)に向かうことになります。 人間が他の動植物と比べて知性が高く感性に優れているのは、思考という自由な心の働きを駆使する生き物であると言うことが一番の理由であります。 この人間の尊厳とも言い得る思考を奪われないように、日常生活の中に思考を通した会話の習慣を持ち続けることが大切なのです。 悪魔は思考停止を狙っている。 そのために試行錯誤(思考の混乱化)をワザと起こすのである。 そうして人間から考える意思を放棄させんとするのであります。 そうした毒牙に侵された人間は、一言目から否定的な言動が目立つようになります。 つまり諦めの言葉が多くなるのです。 そんなことは出来ない。 それは私にはムリだ。 あの人とは話したくもない。 そこへ行ってもムダだ。 それをする意味がない。 こうした言葉(思考)で何も成さざる自分を肯定することを繰り返すようであれば、かなりの心の領域を悪魔に侵食されつつあると警戒しなければならない。 諦めは危険退避としては有用ですが、そこには十分な思考変展の果てに結論付ける英断でなければ、単なる消極的な臆病になっているだけである。 臆病とは億劫な性格を意味していて、人間としての思考の放棄に他なりません。 諦めと妥協は違います。 大きな障害に前途を遮られて、現状での自分の力量では未だ乗り越えるのが困難であると判断(思考)するのであれば、無闇矢鱈に立ち向かって粉砕するよりは、自らの意思で一旦は立ち止まり力を付けてから再び挑戦するか、智策を巡らせて道を変えることも時には英断になると言うことです。 貴方よ諦める必要は無い…。 道を変えれば良いのである。 思考を通した妥協は敗北ではなく単なる前哨戦に過ぎないのです。 目先の小さな勝ち負けに拘って心を見失なうことなかれ…。 大局でこそ人生の勝利を掴めば良いのです。 心を掻き乱さんとする悪魔の囁きに翻弄されず、貴方の目的目標を見失わない工夫と努力を習慣化させるべきであります。 |