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023 平等と公平の違いを知るべし |
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人間は嫉妬怨恨の底無し沼に落ちて行かないように、生前から魂の浄化(調律)を繰り返し行ずる習慣を、生活の中に取り入れておきたいものです。 たとえ恐ろしい嫉妬怨恨霊が存在して悪さを行なっていても、根本原因を手繰り寄せれば自分自身の心の問題に行き着くのです。 人の不幸は他人と比べることから始まると言われています。 そこに嫉みや妬みが頭を覗かせ、怨みや怒りに苛まれる人生となりがちであります。 他人と比較する人生には損得感情を煽る要素が隠れています。 待遇や境遇の違いは人の数だけ有り得るはずです。 地上世界に生まれたからには、地上社会で生きるということに於いては万民が平等であります。 しかしそれぞれ個別の人生経験を通して、努力精進を重ねた度合いは個人差があって当然であり、その努力の度合いに応じた魂の評価も万民が公平に与えられるものなのです。 それを与えるものは真理という神の心であり、愛に生きる魂は愛によって運命が展開する…。 善に生きる魂は善によって運命が開花する…。 欲を生きた魂は欲によって運命が困窮する…。 悪を生きた魂は悪によって運命が崩壊する…。 これらは立派な心の法則(真理の自己展開)であります。 こうした魂の努力精進を放棄した者が、成果に於いて平等な権利を主張することは不毛である。 またコツコツと善意を積み上げた努力人から成果だけを略奪(横取り)することは罪である。 心の中は他人に見えないからと遣りたい放題に悪事を重ねれば、重ねた悪事の出処である本人の心の法則(因果の理法)によって、悪霊悪運を呼び込んだ責任も本人にあると言うことです。 これこそ何よりも平等な閻魔様の評価(地獄の沙汰)であるはずです。 現代人は平等感覚には敏感ですが、公平感覚には馴染んでいないのです。 この公平感覚は徳育が廃れた現代人に不足する魂のバランス感覚であります。 魂のバランス感覚が狂うと悪事を繰り返すものが平然と幅を利かせて大道を闊歩し、徳性の高き者は影を潜めて人目に付かない安全帯を歩いています。 こうしたパラドックスが現れている時代は、未だ平等観と公平観の違いがよく理解されていない幼き時代なのであります。 |