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028 自己を指摘出来ない人差し指 |
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人差し指は的確に相手を指し示して巧みな指摘を行います。 しかし人差し指は自分自身(人差し指)を指差す事が出来ない…。 自分の悪態を棚に上げて他人の悪事ばかりを裁くのであります。 つまり他者の分析は上手でありますが、殆どは他者批判(悪事探し)のみを繰り返すのです。 しかしそうした人は自己反省が出来ない(しようとしない…)人間が多く、これは他人に厳しく自分に甘い人間の浅ましさであるのです。 こうした人差し指人間が近年は増えてまいりました。 個別主義が蔓延して自己主張が形式的になり、心を顧みる習慣もない人間が社会を批判しても虚しい遠吠えにしか聞こえません。 何故なら酒に溺れた人間が善人を裁いたところで説得力も無く、自身の感情をコントロール出来ない迷妄者が、徳高き賢者に悪態を吐く行為は惨めな醜態に写るだけなのです。 相手の善し悪しを指摘する前に自らの普段の素行を顧みる人間は、軽はずみに他者批判を繰り返すことはないはずです。 常に脚下照顧して自己反省から人格形成へと繋げる徳者は、他人を裁く前に普段の生活の中で率先垂範を心掛けているのです。 あれこれと指摘するよりも周囲の見本となり手本となって、善事の感化力で自然に環境を変えられるのであります。 己心の魔に侵されている人間は他人の悪事暴きばかりをしております。 心に巣喰った悪魔(己心の魔)は我欲の塊である。 自己都合・自己保存・自己欺瞞・自己中心…。 利己心に拘る悪魔には反省など眼中にありません。 常に自我の優位を目指す方向で言動を展開しています。 心の調律(自己反省)を放棄してしまうなら、己心の魔の暴挙に誰が歯止めを掛けるのでしょうか。 外部から悪態を指摘されれば激高して逆ギレする人間が、正しく他者を裁けるのであろうか…。 こうしたことは冷静に物事を注視できる人格者からすれば一目瞭然であります。 人差し指人間は弱者を狙うことが多いので注意が必要です。 それは本人が徳者から冷静に自己分析されると己心の魔にとっては困るからであります。 悪態に光を当てられると其処に居られなくなるのが己心の魔なのです。 闇は光の前に無条件で姿を消すのであり、迷妄は明晰によって正しく分析をされ解消される運命にある。 姿を晦ます場所が無くなると己心の魔は去るしか手立ては無いのであります。 |