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032 利自から利他へ |
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個性化が進んだ現代は、自我の在り方に工夫が必要であります。 自我は自分が中心で物事を把握し判断する基準になります。 個性は全体の中での自分の立ち位置や在り方としての役割を意味します。 自我を強めることは役割遂行に於いて許される自己拡張である。 全体の繁栄のために役立つのであれば個性を高めることは善であるのです。 全体の調和のために役立つのであれば個性を磨くことは善とされるのです。 自分が自分が…と、何事に於いても自分に帰結せんとする浅ましい心が我欲となるのです。 自分を小さく掴んでいる我を手放してみて下さい。 それまで何かに拘って雁字搦めになっていた心が、とても軽く爽やかな心地になるでしょう。 我を放つと言っても自我を捨て去るということではありません。 本来の自我は捨てることが出来ないものなのです。 自我の放棄は人間のロボット化である。 正しい方向へと本人が主体的に向かうことこそ、自我に於ける生命の生長であるのです。 己心の魔は自我を悪へと向かわせることで、人間社会を混乱させて支配しようとしています。 自分の為にではなく誰かの為に、自らの才能を自主的に提供する貴方であれ…。 愛は一人では育むことすら出来ないものであり、複数の人間が想いを寄せ合い、優しさを与え合い、辛さを分け合うからこそ感じられる生命の結びであります。 自分だけを利する狭き心を振り切って、他の人を利するための生き方を貫くならば、利他の心は歓喜と幸福とを齎す結びの精神を高めるでありましょう。 人間にとっての徳性(霊性)は、結びの精神を高めるための段階論(方法論)であります。 何時までも自分が(我)自分が(我)と、我欲を掴んでいないで与える愛、施す愛として掴んでいる自我(個性)を誰かの幸せの為に自発的に使う時に、また一つ生長した自分の魂を観じることが出来るはずです。 そうして人間の転生輪廻は意義あるものとして続けられるのです。 己心の魔は自我に取り憑きます。 しかも狭き心(利己心)を餌(食事)として好んで取り憑きます。 捨て切れない自我を善用して、己心の魔ではなく天国の高級霊との魂の交流が始まりますように。 そのための日々の自己反省でありますように…。 |