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033 孤独を愛するニヒリスト |
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人生に付き物なのが人間関係であります。 むしろ人間関係こそ人生を彩る貴重な経験となり体験となる。 相対する人が居るからこそ人は学び合えるのであり、お互いの愛の想いを深めることが出来る。 まさに人間関係は人生そのものであります。 自分一人では解らないことでも、衆知を集めれば解ることがある。 自分一人では出来ないことでも、力を合わせれば実現可能となる。 そこにワガママが出れば衆知は乱れ、ワガママに固執すれば衆知は離れて行くのです。 ワガママとは『我が思うがまま』であって、自分の思惑道理に事を進めんとする我田引水行為であります。 人間関係は、人と人との間に生ずる日(光…真理)を共有しながら調和を目指す結びの心である。 自分勝手な思惑と行為は、人と人との間に生ずる日(真理…幸福)を独り占めせんとする愚行であります。 そのような心の傾向性があると言動には否定が多くなります。 兎にも角にも他人の意見に反感を持ち反論(否定)を浴びせる習性になりがちです。 いつも一言目から他論否定が出てくるならば注意が必要です。 この魔物(否定論)は人間関係に亀裂を入れ分断化を画策する魔界の手法であるからです。 しかしこうした魔物を引き寄せたのは自分の中の心の習性であり、自我に固執する偏見(先入観)であります。 この偏見が人を孤独に追い込むアイテムとして迷妄霊たちに悪用されている。 そうした餌食となった人は当然の事ながら人間(他人)嫌いとなり人間不信となるのです。 人間不信は1日にして成らず…。 人生途上に於いて様々な人間関係を通して積み重なった疑いや迷いが、時間を掛けて作り上げた結果として不信感が根付いたものなのです。 この感性(人間不信)を作り上げたのは自分自身であるからこそ、他者否定は自己否定の裏返しである…。 自分自身の心でありながら自分のことが分かっていない状態は誠に病的な体質であるのです。 現代は他者否定を繰り返すニヒリストが量産されています。 ニヒリストの知恵は物質化(腐弊化)した心の捌け口を、他者の言動否定として吐出した自己否定の行く末である。 その結果は必然的に、周囲から信頼できる人間が居なくなるため、孤独を愛する以外に道が無くなるのであります。 |