036 扉を閉めきる内弁慶

 

 

コンプレックスやトラウマに負けて人生を諦める人間不信者は、自らの殻に隠れながら尤もらしい独善にて社会批判を繰り返しています。

対人関係を持たない(持とうとしない)彼らの主張には際立った論理も存在することがありますが、それは何処まで行っても独善であります。

会話というものは双方の意見の違いを歩み寄せる為に行なうもので、そこには人間としての配慮が必要になるのです。

言いたい放題に何でも言える人間は、他者への配慮が薄い傾向にあります。

それぞれに立場があり考え方の違いがあるからこそ、会話を通して人は生長するのである。

人間不信者は自らの殻に隠れながら社会を批判する内弁慶であります。

しかもそれを誰にも言わず、自分だけの論点の中で完結する思考回路に成りがちである。

誰とも接点を持たないからこそ他者への配慮も必要が無いと言うことですが、独善者には社会人としての徳性が期待できません。

なぜなら徳性は人間関係の中でこそ育まれるものだからです。

たった一人で悶々と社会への不満を呟く内弁慶では、人間不信を解消することは出来ません。

他者を隠に裁く心に悪意が潜むことを忘れてはならないのです。

人間不信者に足りないものは相手の立場を配慮する気持ちである。

この配慮が出来ない人間には感謝の心も気薄であるのです。

人間は対話を通してお互いの意思を交流して、考え方の違いを歩み寄せながら論点の調和を目指す。

そうして互いの気心を深めることで信頼し合える人間関係が築かれるのです。

健全な思考能力を取り戻すためには会話が必要であります。

時には心無い言葉を浴びることもあるでしょうが、それは受け取り方を工夫すれば未来への糧(人格形成の為の肥料)とすることが出来ます。

また悪行を繰り返す者や、迷言を繰り出す迷妄者たちからは反面教師としての学びも得られます。

何事にも困難と戯れる心構えが大切である。

心の扉を固く閉め切る内弁慶よ、素直な気持ちで現実を受け止められる学人になれ。

心を正しく開けば総てのものは尊いメッセージに変わるのであります。

 

 

 

33 霊性開示 【暗黒思想編】