037 内心の他者裁きは臆病者の所作

 

 

人間不信者に多い魂の傾向は一人芝居であります。

たった一人で舞台に立ち、周囲の人間を遠巻きに見て、自らの主観で他者の言動を裁いています。

そこに二人目の登場人物が現れたとしても、それは単なる同調者に過ぎません。

決して他人には知られない自分だけの世界で自己完結しています。

そのため一人きりの人生であれば平穏な日々を過ごすことになります。

しかし人間社会は共同生活であります。

そこには様々な役割分担があり得意分野があるでしょう。

日々接する人々が多ければ多いほど、思い通りにならないことの方が遥かに多くなるはずです。

そうした日々の呻吟を重ねながら大人への階段を一段づつ登って行くのである。

このような人間社会の生業を放棄して、長らく自分一人だけの世界に閉じこもっていれば、当然の事ながら他者裁きは日課となるでしょう。

その人間不信者としての内面の他者指摘は、外部からの横槍が無い分だけ優れている場合もありますが、それがたとえ正論であっても陽の目を見る事が出来ず、隠に籠って闇に消えて行く運命にあります。

どうしても臆病になる気持ちは分かりますが、内面の正論が未来の社会には有用であると感じられるのであれば、勇気を持って何らかの形で世に出してあげることが望まれます。

そこに知恵が必要であれば愛を学べば良い。

そこに勇気が必要であれば魂を磨けば良い。

自分の事(立場)ばかりを考えないで、人の幸せを考えられるような聖なる魂になれば良いのです。

人間不信は何らかの根本原因があって現れている結果である。

それを人間不信が原因で自らの運命が浮かばれないと思うなら大いなる勘違いなのであります。

自らの心から出たものは廻り回って、やがて自分に帰ってくるのです。

根本原因は外部にある訳ではなく自身の内部にあるからこそ、自発的な心の浄化改変が可能である。

他の何ものかに原因を押し付けている間は何も変わっては行かないものです。

人間関係を良好に導く秘訣は配慮と距離間である。

自分の足で立ち、自分の手で掴むことこそ人生の妙味であります。

 

 

 

33 霊性開示 【暗黒思想編】