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044 全否定を手法とする蓑虫思考 |
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心が疑心暗鬼に満ちている者は、他者との論争に於いて押しが強い傾向にあります。 それは論説が見事に否定側に傾いているからです。 視点や思考が疑い側に固定しているため、単純な否定論を並べるだけで我を通し易いのである。 それだけ解り易い傾向性(性格)であると言うことを裏付けているのです。 ではなぜ彼(疑心暗鬼者)は否定論を重ねるのか…。 それは一重に自己保存欲に他なりません。 一生懸命に自分の弱き心を守っているのです。 誰にも知られたくない内在の本性を白日の下に曝されることを恐れているのです。 そのために否定観念は彼の本性の隠れ蓑になり、自分の都合の悪い部分は意味の無い事物だと全否定して、被害が自らに及ばないよう予防線を張っているのです。 しかし他者否定(批判)は、その刄でもって自らをも切り裂くものであることを知る必要がある。 言葉は諸刃の剣であります。 放たれた言葉自体に、その言葉に込められた命(使命念)が宿っている。 言葉は言葉なりの意味内容を成就するために、自己増殖も厭わない生命体として虚空を飛び交うのであります。 そうして言葉の性質に最も波長の似通った人間を見つけては襲い掛かります。 最も波長の似通った最たる人間は、その言葉を発した本人です。 そのため疑心暗鬼者が繰り返す他者否定(批判)は其のまま自己否定となり、繰り返される自己否定の思念に侵されて不運な人生を送ることになります。 それが人間関係での摩擦になったり、自己の病状悪化となったり、事件事故等に巻き込まれたりと様々な不運に見舞われる…。 しかしこれも全て自分が発した疑心暗鬼のブーメラン(心の法則性として自分に返ってきた)であります。 疑心暗鬼者が纏っている隠れ蓑は、思考が停止したままの固着したプライド(努力なき優越感)である。 この隠れ蓑が本人の人生をより複雑にしている原因でもあるが、これに気付かないからこそ(己心の魔に気付けないようにされているのであるが)悪癖も治らないのです。 こうした隠れ蓑が必要だと思っている間は、彼らの疑心暗鬼は何時までも儚く続くのであります。 |