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047 他者を疑う前に自己内面を疑え |
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もはや疑うということが習慣化(常態化)している現代社会は、性悪説とシンクロして市民権を持った文化(疑心文化)となりつつあります。 一通りの疑いを差し挟むことが知性の証明にはならないし、疑いの定石をルーティン化しても人格形成には役立ちません。 他者を疑いの型枠に無理やり嵌め込む教育を止めて、詰まらぬ疑い心を持たなくともよいような相互で信頼し合える文化をこそ、国を挙げて構築するべきではないでしょうか…。 お互いの心が見えなくなった背景には家系崩壊と核家族化があります。 家族という守り合いの中で、最後まで見捨てられない絆があればこそ、時には厳しい叱責にも人は耐え忍びながら成長出来たのです。 しかし個人の権利ばかりを強調する現代社会では、利己心追求の為に家族の絆を顧みることなく離婚離別も辞さない風習があります。 誰にも守られることなく、正しい人の道を教えられることもなく、使い棄て感覚で会社に雇われている人が多い昨今、人を信じて生きることなど到底出来ないと言う人が多いことは当然の結果である。 だからと言ってこのままでは人間の人格崩壊に歯止めすら掛かりません。 この日本という国に本来の大和精神(心の家族意識)を取り戻す為には、徳育という心の学びが必要不可欠であります。 他者の言動を疑う前に、自らの心を顧みる習慣を身に付けることが大切である。 疑心暗鬼が横行する時代は世の人心が乱れています。 そうした時代の帰結手段は常に力の倫理(戦乱)でありました。 悲しい戦火が繰り返される度に、人類のカルマは救い難いものとなりつつあります。 この負の遺産を何処で誰が清算するのか…。 故人の押し付けとして放棄するのか…。 未来の子供たちにも清算させるつもりなのか…。 少なくとも現代人が努力することで解決する領域もあるはずです。 本来の人として、その言動はどうなのかを、人間真理の観点から学び合う必要があると言うことであります。 跳梁跋扈する魑魅魍魎霊の悪態も目に余るものがありますが、それに心の波長を合わせて何時までも同居を許している人間が多いのも困ったものであります。 |