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049 酔い痴れる自己満足陶酔 |
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人間にとっての集中力は物事を進める上で必要不可欠な能力です。 進むべき道を見失わない為にも、ともすると散漫に成りがちな心を一極集中して、目標の実現に役立たせるのであります。 しかし長い期間それに取り組んでいると慣れ親しみも出て、集中力が途切れることもあります。 そのため人は進むべき道に楽しみを道ズレとするのです。 その楽しみは自分にとって興味関心の深いものであるわけですが、興味深いものであるからこそ、心地良い気持ちにも嵌まり込みやすいのであります。 心地良いものに酔い痴れることを自己陶酔と言うのであるが、これは酒好きな人がホロ酔い状態を楽しむことに似ています。 ここでは自己陶酔そのものを否定する訳ではありません。 極度な緊張感やストレスの威嚇などから一時の間だけ心を解放する為であれば、自己陶酔は正しい処方箋の一つに数えても良いかも知れません。 ただし正しい処方箋は容量用法を弁えてこその処方箋である。 この容量用法を無視するような自己陶酔になるなら、もはや心身ともに蝕む毒薬と同じであります。 酒やタバコも時と処と容量を弁えるからこそ精神の糧となる…。 麻薬類が危険視されるのは心身ともに自己陶酔の危険地帯に入り込み易いからであります。 こうした麻薬類と同じような危険な自己陶酔も存在します。 自己陶酔が危険視されるのは正常な意識を錯乱し破壊するからであります。 程々の領域で止める事が出来るなら有用な処方箋も、危険地帯に突入するまでドッブリと嵌まり込むようなら、勇気を持って自己陶酔から覚醒するべきである。 だいたい自己陶酔状態に居る人間が、平素の明晰な意識を併せ持つことは無理な相談であります。 通常意識と同居出来ない自己陶酔状態であるからこそ、時と処と人を弁え、容量用法を弁えながら楽しんで致だきたい。 人生を潤すのも破滅に陥れるのも同じ自己陶酔である。 酔い痴れる内容が何であれ、そこに一段高い意識レベルで自己管理出来る自分であればこそ、人生の道ズレとして適度な自己陶酔は許されるものであります。 この自己陶酔に歯止めが効かなくなると、人間は廃人への道を真っしぐらに進むことになります。 集中力が仇となるのも自己陶酔の極地に嵌まり込んだ人間である。 本来の目的目標を見失わない配慮を忘れず、自己陶酔に振り回されない人格を形成しながら、味わい深い人生を楽しんで致だきたい。 |