005 過少評価と拡大解釈

 

 

心というものは思念想念の働き掛けに於いて本来は自由自在です。

物事の捉え方に於いても本人の了見の中では規制がありません。

そのため個人的な感覚・感情には人それぞれの差異が現れる。

この差異が個人差(誤差)として生ずることは仕方がない事実ではあります。

しかしながら不特定多数の個性が集まる社会生活の中ではトータルとしての衆知基準が必要で、その基準に自らの認識の誤差を修正しながら生きて行くのが社会人としての良識ある務めである。

特に集団生活を余儀なくされる会社勤めでは、良識人こそがリーダー格として中軸に構え、数多の部下を正しく導く徳性を発揮しなければならない。

しかし現状での会社組織の多くは必ずしも徳者が上に居るとは限らず、残念なことに欲者が指揮命令権を持つ危なげな企業が多くなりました。

自らの感情の統制も採れない上司が、部下の正しい就業評価を採れるはずもなく、自らの了見の狭さを露見させるだけのトラブルメーカーが、一部署を仕切っているのを皆さんも見掛けるはずです。

彼らは自由自在な心の解釈を悪用して自らの都合の悪い場面は過少評価…。

また自らの都合の良い場合は過大評価…。

この自らの都合の部分が自我我欲の悪痕であり、こうした悪痕を抱いている者の見方や考え方は悪視悪思考が基準になっています。

悪痕には害虫(悪思念)が集って益々本人の性根を腐らせる。

人間は自身の心(精神)を時おり清掃しなければならないのです。

自身の心を無法地帯のまま放っておくと、何時の間にか心(精神)はゴミ屋敷と化して魔界の巣窟にされてしまいます。

自らの心でありながら家長が悪魔に成り代わっている人も稀に存在します。

これが心を蔑ろにしてきた現代人の悲しい現状であります。

自分の住処である家屋を掃除するように、自身の心(住処)を本来の家長(貴方自身)が清掃浄化しないで誰がするのか…。

これを霊能者に頼っても解決にはならず、本人の心は本人の主体性が無ければ、何処まで行っても根本解決には至りません。

人間は心の主権を取り戻して、物事の視点(見方)や思考(考え方)を舵取りするのは家長である自分の意志だと、常に強い気持ちで生きて行く必要があるのです。

 

 

 

33 霊性開示 【暗黒思想編】