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055 有り難みを知る中津瀬精神 |
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人間が自己陶酔から目覚める為には明確な理想が必要になります。 明日を自発的に引き寄せ主体的に未来を開く目的意志が必要なのです。 ただ寝てるだけで明日は来ると自己陶酔人間は寝言を呟くが、何も成さざる夜明けに感動はありません。 黙っていても未来は訪れると自己陶酔人間は呟くが、夢の無い人生に希望の日々は皆無である。 時間の概念は大神の御神体であります。 大神は繁栄であり調和である。 時の流れに身を寄せるだけでは単なる漂流物です。 本来の人間(神の子人間)は流れの中に煌いた記憶を刻むことで、所々に輝いた記念樹が残されるのです。 その記念樹は命が吹き込まれているからこそ、永遠に生長しながら輝く記憶になるのです。 人生途上では時に失望怠惰に取り巻かれることもあるでしょう。 しかしその急地を遠い過去の記憶が励まし助けてくれることがあります。 まだ魂は幼かったが一生懸命に生きていた日々は輝いていたと知るだけでも、また歩み出す勇気に変わります。 かつての自分の存在(頑張り)に有り難みを覚えたなら、もう何時までも立ち止まっては居られなくなります。 こうして人間は時折り過去を振り返りながら原点回帰をするべきであります。 その為にも日々の生活にユトリが必要である。 元来優秀な人ほど物事の処理能力が早く空き時間を創る余裕がありますが、そうした余裕を周囲の人間は遊んでいるように見えるかも知れません。 処理能力が早いと言うことは、それだけ多量の心血を注いでいると言うことで、人の何倍もの気力を使って生きているのです。 その分だけ気疲れもあるが同時に充足感もあるため、他者の目には気楽に遊んでいるように写りがちであります。 しかしこれが高徳者特有の時間管理能力であり、言葉を変えれば中津瀬精神(中道・中庸)である。 彼らの活動ポイントは少ないが深く多くの想いを注いでいる…。 生活にメリハリを持ちながら目的意識を持って時間を管理しているのです。 こうした高徳者の生き方は外見だけを損得感情で見られると誤解されてしまいます。 恐らく多くの場面で心ない人々から、無闇に空き時間を潰されることが増えて、通常人の何倍もの働きを強いられているはずであります。 |