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057 充足感を知る心の欠如 |
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時代も末路に近付くと人々の心も安らぎを失い、思考も言動も荒んでまいります。 そうなると多くなるのが不平不満であります。 不平不満は足るを知らない心でありますが、何をもって満ち足りたと思うか、また何をもって未だ足りぬと思うか…。 この何を…の部分に、人それぞれの思惑の相違があるのです。 人間は自分の思考を頼りに生きております。 勿論この思考は本人の努力によって質の高下が変化します。 しかし大方の人間(とくに現代人)は自意識を基準にして日々の生活を営んでおります。 それぞれに考え方が違い方法論も違う。 個性の時代は相違乱立の歴史であり、相互で自我を押し通せば比肩争乱も避けられません。 世に戦乱事件事故が多発する時代は、魂の個性化が強くなっていることを裏付けています。 その場合は権力を持つ者は力に頼り、権限を持てない無力者は不平不満に陥り易いのであります。 余りにも当然の如く日々繰り返される不平不満は、常態化した魂の傾向性として、本人の運命を益々不平不満の意味内容に近付ける。 これこそが因果の理法であり心の法則であります。 不平不満は念仏のように繰り返されることで、強く深く自己暗示を施すことになり、この不運な念力は言葉の意味内容に近い現実を、本人の周囲に引き寄せ実現させるのであります。 本人の力量評価や所得大小、待遇如何や境遇格差などを、目で見える物的形態に求める限り、不平不満(不幸観念)は何時までも居座り続けるでありましょう。 これは個人の自由だからと不平不満の性質を宝物のように擁護するなら、自業自得の全容を受け止める潔さかも知れませんが、その不平不満(不幸観念)は言葉の力で周囲の人々にまで悪念を散蒔く行為であることも、同時に熟知しなければならないのです。 周囲の善人たちも日々繰り返される不平不満を不本意に浴びて、悪言悪口を暗示の如く聞かされる。 こうした状況を霊的に観れば、大気汚染の中で蝕まれる人災のように映ります。 不平不満を嘆く人に足りないものは、既に与えられているものに対する気付きと、その恩恵に対する感謝の心であります。 こうした充足感は霊性を開けば当たり前のように感じられる。 つまり不平不満が多い人は、魂が物質化しつつある状態を未だ気付かぬ人であると言うことであります。 |