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061 物量ではなく霊的質量が大切 |
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不平不満の渦に巻き込まれないように、普段から心を清掃浄化しておく必要があります。 長々と不平不満を繰り返す人を霊眼で観れば、当人の背後に黒い影が漂っているのが解ります。 その黒い影が矢継ぎ早に耳打ちしています。 その内容は損得感情を煽る思いを誘発させるものばかりです。 自分と他人との所有物の多さ少なさを張り合い、所有地の広さ狭さを張り合い、目で見えるもの手で触れられるものを集めて安心する気持ちは、物に対する宗教的な信仰に近い心模様である。 魂の真なる価値観は物量には無く霊的質量にあります。 思いの深さや想い入れの重さこそが、魂の価値を高める素材になるのであります。 比較から始まる不平不満は不幸観念を涌出させる…。 物体に過剰な価値を付加させて、まるで収集家のように物を身近に集めていないと落ち着かない人も居るのです。 いったい誰と張り合うのか…。 どれだけ物を集めれば気が済むのか…。 これは持ち物を大切にするしないの問題ではなく、物そのものの真なる価値(霊的真価値)を見い出さない限り、何処まで物量を増やしても安住の境地に達することが出来ないのであります。 本当の物的価値(内在の霊的真価値)を見い出したなら、物量よりも質量(想い入れ)の方に心の針が向かうはずである。 そうした心構えになってこそ、始めて勿体無い精神の真なる意味が理解出来るのです。 何でも可でも集めた物すべてが勿体無いという心模様は、単なる物欲の権化であると戒めなければならないのであります。 様々な便利物に囲まれて幸せだと思う心には、魂の尊厳を忘却した迷い心がある。 物質化した心は魂の喜びを感じられないため、物欲の権化は石のようなストレスを感じ、その苦しみに盲我気(もがき)ながら強烈な刺激を求めて益々精神の化石化が進むのであります。 物の収集にも物理的限界がある。 心の忍耐力・霊耐力を磨いていなければ、不平不満は当然の如く沸き出してくるでしょう。 自分の心でありながら自分の思念想念をコントロール出来なければ、去来する悪思念の操り人形として完全支配(悪霊憑依)される運命にある。 心の主権を今一度取り戻して、言葉(思念想念)の調律を主体的に行える徳性を磨き続ける貴方でありますように…。 そうして不平不満(不幸観念)の罠を上手に回避する貴方でありますように…。 |