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062 終わりなき損得への執着 |
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人間の損得感情に悪霊が憑依する事実は事実としても、なぜ人は損得感情が沸いてくるのか…。 この事実にこそメスを入れなければならないのです。 もともと損得とは如何なる心の状態であるかを自分の魂に問い掛けてみる必要があります。 それが本当に損害損傷に値するのか…。 それが本当に得益得策に当たるのか…。 失うものの中には課題卒業の証もあり、得るものの中には窮地混迷の種もあるはずです。 損をするか得をするかは姿形の如何に関わりなく、そこに魂の生長があるか衰退があるかを霊性の智性で判断しなければならない。 複数の人間が同じものを得たとしても、或る人は幸福を感じるが或る人は不幸を感じるのです。 この違いは物量の有る無しや多い少ないでは計れないのである。 こうして突き詰めて損得感情を精査して行くと、物量や境遇の姿形立場如何に関わらず、一人の人間としての感覚や感情の違い、または人格や徳性の違いで物事の感じ方や受け取り方、はたまたその後の生き方によって損得感情の在り方が大きく変わってくると言うことであります。 徳性が高い人ほど自然な素行で質素倹約に努めている。 それは総ての環境境遇が神からの預かりもの授かりものであることを、魂の奥底で自覚しているからに他なりません。 霊性を開いて人生を見渡せば、既に此の身このままで生かされ満たされた境遇であることを悟るからこそ、魂の喜びとして只感謝するのみであることを自覚するのである。 霊性が閉ざされた現代人の多くは、魂の喜びとは正反対の欲望の刺激を求めて心を物質化に向かわせています。 刺激には慣れという機能があるため、心が迷妄に向かえば終わりなき損傷への執着は、人間存在を破滅への道へと走らせるのです。 もともと人間に具わっている慣れ親しみという機能は、苦しみ悲しみ痛みを克服するために、創造主が人間に与えた徳性の一つでありました。 しかしこうした慈悲機能をさえ悪用するのが人間の迷妄である。 魂に具わっている数々の善機能を正しく扱えるように努力精進することが、神の子の自覚を深めるための徳性開発の意義なのであります。 |