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065 批判中傷は負け犬の遠吠え |
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それでは迷妄者の悪態の一つに数えられる他者批判について、幾つかの見解を語ることにします。 不平不満は利己的強欲が主原因でありましたが、他者批判に明け暮れる迷妄者の心模様は自己内照がありません。 そのため視野は常に外部(他者)であり、自らの心は顧みる余地さえ無いのです。 なぜ自己内照をしないのかと言うと、現状での心の弱さを認めたくないからです。 だからと言って心を磨く努力もせず、人格者としての理性を高める訳でもなく、自らの本体(正体)を闇の中に潜めたまま、その隙間から世人の粗探しばかりを楽しんでいるのです。 理性の足りない他者批判の殆どは中傷であり、知性すら無い暴言悪口は既に精神病者と同じような状況にあります。 困ったことに社会には批判中傷に明け暮れる迷妄者に役職を与える企業が多い。 その背後には利得を含んだ縁故や派閥を守るための裏事情が隠れている。 本物の人格者は窓際族(蚊帳の外)に追い遣られ、利権利得を貪る現代の悪代官は、心ない批判中傷で周囲の善人を役職から抹殺せんと躍起になるのです。 その理由は迷妄者自身の執拗な保身にあります。 我が身を(我が身だけを)守らんが為に周囲を弱体化する行為は、本人自身の精神が脆弱であることを暗に暴露しているのである。 自己精神が弱ければ魂を磨いて強固にすれば良いのであるが、迷妄者は自分の本性(弱さ)を他人には知られたくないのです。 自己保身の歪んだプライドを守る為に、どれほど多くの善良なる人の心が傷付けられたことか…。 どれもこれも徳育なき国家を無条件で受け入れてきた先人たちの負の遺産である。 批判中傷に明け暮れる人間は人格を暴落させた魂の悲しい遠吠えであります。 人間としての人格を失った負け犬の遠吠えである。 他者批判を唾吐く前に脚下照顧して、自らの心の惨状を見渡すべきであります。 その時に惨憺たる心の荒れ模様に絶句し落胆するかも知れません。 深い谷底に落ちて行くような挫折を味わうかも知れません。 しかしその落胆挫折は一抹の希望を含んだ真人間の証明である。 悪態を悪態と分かる心が神の子の証明であるのです。 早々と改心をして真人間としての人生を遣り直すべきであります。 |