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067 不幸観念の蟻地獄(底無し沼) |
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自分の内なる罪穢れを他者転嫁させんとする迷妄者も他者批判が多くなります。 周囲の人間の粗探しばかりをしている人の心の状態は悪視に満ちています。 何ゆえ悪視に満ちているのかと言いますと、悪視をする本人の心の中に悪痕(悪意悪念)が巣喰っているからであります。 その悪痕は同じ悪意悪念を周囲に探し求めて、ほんの些細な物事でも悪意ありと決め付けるのです。 確かに全ての物事には善にも悪にも流れる可能性はありますが、そうした中で社会の営みは善意に受け止めながら、人から人へと真心を伝えて行くのが人の道である。 悪意悪念に終始するなら社会に対する見識は悪視に囚われる。 囚われとは捕らわれの身でありまして、悪痕として居座る己心の魔に支配され(捕らわれ)、悪魔の意のままに使い回され、用が済めば捨てられる運命にあります。 己心の魔に完全支配されてしまうと、思考回路は不幸観念に毒されてしまいます。 これまた残念な話ですが、不幸観念は底無し沼への蟻地獄である。 他者の不運不幸にばかり囚われる心は、自身の中に不幸観念が渦巻いている証拠であります。 これは誰もが心に抱く趣味趣向への興味関心と同じで、心の中に不幸観念が趣味趣向のごとく存在するからこそ、広い世界を見回してみても不運不幸ばかりに心が引っ掛かるのである。 全ての物事にある表と裏(プラスとマイナス)を見て、裏(マイナス)ばかりに引っ掛かる心は、それを裏(マイナス)と決め付ける本人の心に悪痕(己心の魔)が潜む事実を物語っている。 正しき心ある者は注視して観察すればよい…。 高徳者は其れを瞬時に見破ります。 しかし彼は黙ってその場を立ち去ります。 安易に正面から諭しても火に油を注ぐ結果が多いことを知っているからであります。 迷妄者に対しては時期の見極めが重要で、改心のキッカケ到来を気長に待つ事になります。 迷妄者は迷妄状態であるが故に、いずれ自業自得の躓きを必ず起こすのである。 因果の理法(心の法則)は、悪意悪念の方が現象化(物質化)が早いのです。 また己心の魔は平安を嫌うため、周囲に争い事の種が無くなると苦しくなり、憑依している人間を自縄自縛して脅迫(抑圧)する。 そのため迷妄者自身が深く悩み苦しむ時期が必ず遣って来るのであります。 |