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007 自由意思は自己責任を伴なう |
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人間は操り人形ではありません。 生命の尊さと無限なる可能性を魂に抱いて転生を繰り返す永遠の旅人であります。 創造主は人間を神の子(分身分霊)として創られたのです。 つまりそれぞれの個性に自由な意志を持たせて、主体的に人生を生きるように、一つ々々の個生命に総てを託したのです。 自由自在な意志を持ち、好き勝手な人生を生きる代償は、やはり自分自身が受け止めて行く他ありません。 そのために人間には心というアイテムが授けられています。 この心というアイテムは本来は万能です。 使い方によっては偉大な創造を興して数多の幸せを実現させます。 また使い方を誤ると星一つ消滅させることにも扱われてしまう。 そうした本来は万能な心を神から信頼され託されている。 そこには大いなる神の永きに渡る願いがあり祈りがあります。 善も悪も成し得る自由の中で我が子よ自らの意思で善を採れ…と。 個々別々の命ではあるが他者との心を結び合わせる愛を採れ…と。 そこに生じる喜びや幸せは貴方たちのものである。 そうして貴方たちの御祖である創造主のものでもある。 誰にでも創造主の愛念は宿っている。 だからこそ貴方は神の子なのだ。 その善行愛行でさえ神は強要しないで人間の自由な判断に委ねているのです。 こうすることによって創造主は全責任を担っておられるのです。 人生には山あり谷あり。 好調期もあれば不調期もあります。 時には道を外して彷徨うことも多いでしょう。 しかし何時かは必ず本人の意志で奮起して、主体的な努力を重ねながら創造主の元に帰って来るであろうと、大いなる神は全幅の信頼を貴方にも寄せているのです。 心には良し悪しに関わらず思い描いたものを実現する力が備わっています。 不完全な思いは不完全なまま現れてくる…。 その顕現化(心の物質化現象)した心の副産物は、思い描きを発した本人の分身分霊でもあります。 自身の思いの分身ならば、その存在形態に対する全責任も本人にあるのです。 この思いを発した全ての責任は我にあり…という深い自覚こそが、神の子としての一切者の自覚(創造主からの分け御霊としての自覚)であります。 |