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071 論点を客観視せよ |
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他者批判に明け暮れる迷妄者には特に言っておかなければならないことがあります。 行動の自由や言論の自由は全て自己責任の下に行なうものである。 言いたい放題に悪口を重ねれば、それによりて巻き起こる憎悪の念(悪霊悪魔)も自己責任の下に受け止めて行くことになるのです。 それを誰かに転嫁したところで、憎悪の出処は悪霊悪魔が帰る場所でもある。 他者批判の悪口を唾吐く者は、そのまま周り回って自分自身に火の粉が帰ってくるのです。 しかも世の中を周り回った分だけ同種の悪波動を付加して増幅しながら戻ってくる。 他人の粗探しに終始すれば、やがて自分の醜態も公衆の面前に曝される運命にあるのです。 生前では運良く暴かれなかった悪事の数々も、死後の霊界の入口にて閻魔大王に悪態を暴かれるのであります。 閻魔大王は隠し事の総てを既に知っております。 何故なら閻魔大王とは貴方たちの心の中に存在する良心であるからです。 申し開きなど一つも出来ないと覚悟して下さい。 例え心優しい善人が悪事を許してくれたとしても、自分の良心は安易に許してはくれないでしょう。 ましてや人様に多大な迷惑を掛けたのなら、良心は本人を地獄の底にまで突き落とします。 他の誰かが突き落とすのではないのです。 自分の内なる良心が、自分自身を強く裁くのである。 だからこそ生前から自己反省の習慣を付けておかなければならないのです。 自分の足取りを反省回顧することで、徐々に自我が薄れて客観視することが出来るようになります。 究極の客観視は自身の守護霊の視点であります。 自己反省すら出来ない人間は守護霊との対話など縁がないのです。 守護霊と勘違いした悪魔の囁きを聞いたと喜んでいても、霊性を開いた未来人から見れば惨めな姿に映るだけなのです。 現代人の客観視は主観による客観視であります。 つまり自分の視点が自分の姿を分析しても、いつも自分の言動に軍配を挙げるのである。 それだけ現代人には自我の克服が難しいものとなっているのです。 論点を客観視することの真意を、よくよく考えて致だきたい。 それだけでも他者批判は影を潜めることになるでありましょう。 |