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078 羨望…優越感の迷走 |
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羨望とは文字通り羨むことで、自分には無いものを他人に求める思いであります。 この場合は想い(相手の心を配慮)ではなく思い(自分の心を優先)である。 羨望が光に向かえば憧憬となり、闇に向かえば嫉妬となる。 憧憬は対象者を肯定した上で背中を追い求めるが、嫉妬は対象者を否定して足を引っ張る愚行に走りがちである。 現代人の多くは個別思想に毒されて羨望を闇に向かわせる人が後を絶たない…。 憧憬は自助努力を継続させるが、嫉妬は相手の生長を邪魔立てするのである。 ここに人間心理が隠れているのです。 嫉妬に堕落させた羨望は他者との比較に於いて優位な立場に立ちたいのであります。 しかし残念ながら嫉妬心は利己的感情であるが故に自助努力を嫌うのである。 自分が思考の規準であるため、努力なき競争意識は、相手の失墜を画策する愚行に繋がるのである。 つまり羨望欲に終始する者は、常に優越感を抱いていたいのです。 これは裏を返せば優越感を感じていないと自分の心が落ち着かないのです。 二番煎じ三番煎じでは幸せを感じられず、むしろ不幸観念に苛まれるのでしょう。 これが自助努力なき者の心(精神)の弱さなのです。 このように嫉妬に繋がる羨望は優越感を求めて迷走するのです。 もはや優越感を感じずには幸せは有り得ないほど、優越感が欲求にまで高まってしまったのです。 迷妄者たちには明確な理想がありません。 他者の堕落失脚を喜び、失敗挫折を楽しむ邪心が、魑魅魍魎たる悪霊妖魔を呼び寄せるのである。 彼等の迷走は下り坂になっているため、走れば走るほど加速して奈落の底に落ちて行きます。 心の針を嫉妬から憧憬へと変換しなければ、その迷走は誰にも止められないのです。 人間として向かうべき方向は正しいのか…。 羨望に揺れ動く心の正体は何なのか…。 やはり人間が霊性を正しく開く為には自己反省が必要不可欠です。 徳性を磨く過程には反省回顧が大切であり、神の子の自覚は生命の実相への原点回帰で果たされるものであります。 |