087 覚者は自らの小ささを知る

 

 

過信盲信の罠に嵌まると自分自身が見えなくなるのです。

何故に見えないかと言いますと、見ようとしない(見たくない)からである。

こうした思いは自己都合優先であり自己保身優先であります。

自己都合は好評価のみを拾い集め、自己保身は悪評価に耐えられない軟弱な心を隠し持っている。

自分にとって良いものしか認めない心は完璧主義者であります。

しかし完璧に物事を推し進められる人間は居ない。

何処かに不完全さが残るからこそ人は生長し愛は育つのである。

つまり完璧主義者には生長の余地が無い(少ない)のです。

自分の興味関心事のみを追い掛けていると片寄った精神ばかりが構築され、専門分野は突出した才能が得られるでしょうが、人間としてはバランスを崩した堅物となり易いのです。

しかも本人は大真面目で自分が理想的人間だと思い込む…。

ますます危ない領域に入り込むのであります。

本来の人間精神は大調和を目指すべきである。

それは創造主が大調和そのものであるからです。

神の子が目指す道は、御祖である創造主の大調和であります。

大調和は秩序と調和が保たれたまま進化発展に向かう姿である。

大調和の究極は大繁栄であり、果てなき生命の生長は、神の子人間の転生輪廻を通して制限の無い無限生長を約束されています。

生長の余地が無限であり永遠であると悟る覚者は、自惚れの躓きに時を濁している暇はなく、過信盲信の罠に沈んでいる暇もないのです。

ただ直向きに一歩づつ、地道な善行愛行を積み重ねるのみであります。

大いなる神の姿(全容)を垣間見た覚者は、自分自身が限りなく小さな存在に観じられるのです。

それは夜空を仰ぎ見る星見人が、三次元宇宙の大展開に小さな自分を見い出すような感覚に近い…。

心の宇宙(霊的世界)には更に果てなく終わりない光明世界が広がっています。

霊性を開いた高徳者たちは常に無限永遠完全なる世界に向き合うため、その歩みが遅くとも地道な人生を着実に歩むのであります。

過信盲信者は自らが一番大きな存在だと思い込んでいるが、その実は小さな個性体に入り込んだ惨めな魂が、周囲の状況を見ない(見ようともしない)為に、過信盲信者自身が自らの未熟さに気付かないのであります。

 

 

 

33 霊性開示 【暗黒思想編】