|
090 配慮を欠いた固定観念 |
|
自分なりには善いことをしているつもりでありながら、周囲の人には有難迷惑になっている場合があります。 正しいことをしているのに煙たがられる善行もある。 現代人が求める幸せは個人的幸福に片寄りがちで、主観的な認識(判断基準)でないと物事の良否が知覚出来ないような自我感性になりつつあります。 ここから当然の事ながら独り善がりの押し付けがましい言動が始まります。 スタート地点にある善意は紛れもない真心から放たれたものであるため、その親切心そのものは大切にして致だきたい。 ただその真心を行使する段階で、相手の境遇(立場)や心情(気持ち)を配慮する心構えが必要である。 そうした他者配慮が無いなら自分本位の善行が悪行に変化する場合もあるのです。 相手の気持ちを考慮しない愛行が憎行に変化する場合もある。 現代人が主観を越えられない背景には、世界的な個別意識の固着に原因があるのです。 個別意識の固着は言葉を変えれば固定観念であり、自分流に帰結する利己的感性であります。 善い行いをしたいという理由が浅い思いであるのか深い想いであるのか…。 この部分は自己問答が必要不可欠である。 浅い思いが始発駅になっているなら自分の損得勘定に操縦席を支配され、立ち寄り駅の少ない短期間の旅になるでありましょう。 深い想いが始発駅になっているなら相手への愛情そのものが操縦席を支配して、人のための人生列車は立ち寄り駅も多く、長期間の旅路になるでしょう。 人生は人間関係が駅間を繋ぐ大切な絆(レール)になるのです。 人間は一人きりでは地上に生まれ出る事も社会で生きることも出来ないのである。 誰かとの関わり合いが人を育てる心の糧になるのです。 そうした地上の人間社会に於いては固定観念が仇となる場面が多くなります。 人は常に生長しなければならない。 魂の生長には限りがなく終わりがありません。 人間関係に於ける魂の生長は、如何に相手の気持ちが理解出来るかで測られます。 神の子人間の御祖である創造主は落葉する一枚の枯葉の気持ちさえも熟知している。 人間の魂修行は方向を間違えると精神の物質化(化石化)に向かってしまうのであります。 |