001 原点を顧みる気持ち
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新創世記に於ける自己確立とは何であるか…。 それは個性体としての一次元意識の克服であります。 一次元世界は点と線の認識世界であり、これを意識に当て嵌めるなら自我(点)と利己心(線)に例えられます。 自我は自分を中心にした思考形態を持ち、その自我のままの思考経過が利己心として認識されるのである。 思考の基準が自分(自己尺度)であること自体は何も悪くはないが、自我(自己尺度)が視点となっている間は、自分自身の言動を客観視することは出来ないのであります。 自分流の色眼鏡で見渡す風景は、自分が認識する範囲内の色調しか瞳に写らないでありましょう。 その自分流の色眼鏡(囚われ拘り)が濃ければ濃いほど、尚更に自分流の色眼鏡以外の風景(色調)が見えなくなるのです。 これは個性が強過ぎる人間が嵌まり込みやすい迷盲状態であります。 そうした自我の迷盲人間は他者を上手に指摘するが、自分の素行(普段の言動)は全く見えないまま、自らの悪態を棚に上げた状態で他者批判だけを繰り返すのです。 これは自らの魂を一次元意識に停滞させた人間の最たる特徴である。 自分だけは何も間違っていないと自我(一次元意識)が思い込ませている。 全て他者の責任だと自我(一次元意識)が本人に言い聞かせている。 そのため他人の小さな失態さえ敢えて探し出してまで厳しく忠告するが、その他者批判をしている本人の失態には気付くことはない(気付こうとしない)のであります。 こうした一次元意識の人間に足りないものは自己反省の習慣である。 人間本来の魂の原点を顧みる気持ちである。 自分が自分が…と我(が)ばかり多く強くなって自らの足下が見えない間は、人として大切な愛の本質が決して解らないでありましょう。 未だ自分の中に至らない部分があることに気付けない人間は、今世を越えた魂の原点に対して驕り高ぶりの気持ちが振り払えない状態(一次元意識)です。 何でも一番を自負するお山の大将は自分が負けることが許せないのであります。 |