003 罪穢れを悔い改める
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原点回帰をして本来の純粋個性を見い出したなら、悪心(利己心の魔)の存在が明るみになり、その悪心(利己心の魔)を自らの意志で放逐する必要があると言うことでした。 そうして次に行うべき反省作業は、現状の心(悪心に靡いていた気持ち)を本来の正しい純粋個性に悔い改める作業になります。 この心の悔い改めが出来ない現代人が多過ぎます。 この悔い改めを敢行することが出来ないが為に、自己反省が縁遠い人間(一次元意識)となっているのであります。 かつてイエスキリストは何度も繰り返し説いたはずです。 『汝ら悔い改めよ…』と。 悪心(利己心の魔)を悪心のまま放置した責任は自己自身が受け取らねばならない。 その責任さえ他人任せにして平気で生きている人間(一次元意識)が現代人には多過ぎます。 病気のせい、他人のせい、環境のせい、社会のせい、運命のせい、時代のせい…。 真理の観点で総てを見渡せば、こうした責任逃れは一切出来ないことが分かってくるのです。 その環境に自らの境遇を重ねて生きているからには、人間には主体性が存在するはずです。 自分の意志で選択肢を選ぶ自由まで与えられている…。 この自由意思は善悪美醜苦楽に関わらず、本人自身に委ねられた自由意思であります。 こうした自由意思には自己責任が付き物であり、遣りたい放題したい放題しながら責任逃ればかりしている人間は、未だ魂の生長状態が幼い段階(一次元意識)にあると言うことです。 自分の損得しか見えず他人の迷惑は顧みず、利得は自分の手柄であり、損害は他人の加害によるものであると…。 こうした考え(一次元意識)が主流を占める時代には損害保険のような代行業務や、弁護士のような代理業務が流行るのであります。 全ては自己反省(正しい悔い改め)が出来ない人間の悲しい性(自業自得)であるのでしょう。 |