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011 見ることで犯す悪事
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人間の生命は永遠であります。 転生輪廻を繰り返して、様々な地域に生まれ変わり、新たな経験を積み重ねながら、徐々に魂の生長を果たすのです。 魂の故郷は霊界にあります。 本来の霊的世界では物理の法則に囚われず、自らの魂心境に応じた常楽の心境で生きているのです。 しかし時を経て転生輪廻の時期を迎えると、過去世で残された問題点を宿業として、新たな課題を魂の奥底に秘めて、物理の法則に作用される地上世界に生誕するのです。 地上世界では人類共通の三次元意識を頼りにして、意思の疎通を感覚に委ねることになります。 そうする事で社会人としての共通の認識を共有する事が出来るのです。 もともと感覚は地上用の認識尺度であり、お互いの意思を歩み寄せる為の地上用の共有アイテムである。 それなのに自我(個別意識)ばかりを強めた人間は、我儘な自己主張を押し通して、自らの感覚のみが正しく、それ以外は間違いであると誤認して、ますます頑なな性格に魂を凝り固めてしまうのです。 こうして凝り固めた感覚の一つが視覚(肉眼の目で見る)であります。 視覚は目で見えるものを見たままの姿で脳裏に写します。 其処までは共通認識としての視覚でありますが、その見たままの姿を如何なる意味合いとして捉えるか…。 此処に人間社会での個人差が現れ、感覚的な差異が現れるのです。 過去の経験(過去世を含んで)を元にして魂の境涯に於ける感覚知は違って当然ですが、感覚知を個人の問題として扱うだけならまだしも、複数の人間で経験を共有する場合は、自分だけの感覚知を強引に押し通すべきではありません。 人によっては魂の生長過程に早遅があり、事実を受け止める為の心の容量にも広狭があるのです。 自らの感覚知は自分にとっては真実であるかも知れないが、そのまま他者に当て嵌めても必ずしも同感覚ではないのです。 しかしそうした感覚知の差異を認められず、自己認識(一次元意識)のみを正統化するなら、人間関係には双璧が造られ、お互いの相違を排斥し合う醜い社会が現れるのです。 そのような個人主義者(一次元意識人間)が21世紀を迎えた現代人には誠に多くなりました。 |