012 聞くことで増す迷妄

 

 

感覚は地上用の認識尺度であり共有アイテムでもあり、自我(個別意識)ばかりを強めた人間は、我儘な自己主張を押し通して、自らの感覚のみが正しく、それ以外は間違いであると誤認して、ますます頑なな性格に魂を凝り固めてしまうと言うことでした。

こうして凝り固めた感覚の一つが視覚(肉眼の目で見る)であると語られました。

また凝り固めた感覚の二つ目は聴覚(肉眼の耳で聞く)であります。

聴覚は耳で聞いたものを聞いたままの事実として脳裏に留めます。

其処までは共通認識としての聴覚でありますが、その聞いたままの事実を如何なる意味合いとして捉えるか…。

此処にも人間社会での個人差が現れ、感覚的な差異が現れるのです。

人間の脳は聴覚から得た情報を或る種の信号として魂に送ります。

そうして信号を受け取った魂は、その信号を自分なりの映像に変換するのであります。

ここに個人的な経験値の差異があるからこそ、映像化した姿も本人の経験をバックボーンとした内容に片寄ることになります。

つまり同じ言葉を聞いても人によって良き情報と想い、また他の人にとっては悪しき情報と思うのである。

聞いた情報を如何なる意味合いで捉えるか…。

ここに感覚的な差異が現れることは当然の理であります。

そうであるにも関わらず自らの感覚(一次元意識)のみを強引に押し通すなら、社会は意思疎通の採れない混沌状態に陥るのです。

この聴覚は聞いたものを聞いたままの姿で受け取る際に、誰もが自分流の尺度(感覚フィルター)を通して聞き取るが故に、一次元意識の人間には自己認識は出来ても他者理解は難しい状況になっております。

こうして一次元意識の人間は、公共の社会で自我を押し通すが故に、ますます迷妄を増すのであります。

歪んだ感覚で我欲を前面に出せば、聞いた情報は全て利己的収穫に帰属させんと躍起になるのです。

従って情報化社会の多重な聴覚からも身を崩す人間が出てくるのです。

便利さだけでは人間は成長しない。

世紀末を迎えた現代、此の事実を人類は正しく受け取らなければならないのです。

 

 

 

 41 むすび大道 【自己確立編】 一次元