015 触覚は自己認識の礎
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五官の感覚として視覚・聴覚・味覚・臭覚などがあると説明してまいりました。 それぞれの感覚は、本来は人間の地上世界に於いて有用な機能であると言う事でした。 しかし地上生活に有用な感覚を人間は自己限定の一次元意識(個別尺度)として悪用することで、本人のみにしか通用しない固定意識として凝り固めたのです。 そして一次元意識の人間が凝り固めた感覚の五つ目は触覚であります。 本来の触覚は相対物質の現状を確認する為に与えられた感覚機能です。 相対物質に直に触れることで如何なる形状であるか、自分にとって安全な存在であるか、危機的状況になっていないか…。 こうした感覚を直接的に行う事で、相対的な協調を施す機能なのです。 しかしこの触覚を利己的感覚(個別意識)として扱うと、個人的な好き嫌いで肌が合うか合わないかの選別をしてしまいます。 相手の現状を十分に確認もしないまま、自己都合の興味関心だけで白黒採決(良否の二面しか選択肢が無い)に走ってしまいます。 こうした白黒採決を常日頃から重ねていると、触覚は感覚麻痺を起こして本来の生命が流れなくなり、肌荒れなどの様々な皮膚障害を起こしやすくなる。 片寄った過度な思いは心の法則(因果の理法)に従って過敏な触覚を創造(育てる)するのです。 自分だけの尺度(一次元意識)で周囲の人間を裁いたり排斥したりしていると、心の法則による自念の創造作用によって、自らの身体に触覚障害を起こし、その自念が強過ぎると周囲の環境にまで障害を巻き起こすようになります。 これも魂心境を一次元意識に凝り固めた人間の最たる特徴であります。 感覚機能を正しく扱えない(扱おうとしない)人間は、体質的に見ても社会の公共性に馴染めない性質になっているはずです。 しかし魂心境を一次元意識に凝り固めた人間は自己反省にも縁が薄い為に、自己自身の特異性に気付かぬまま他人の心の奥底までズカズカと入り込んで、迷惑を顧みない言動を繰り返すのであります。 |