016 感覚を狂わせる我欲
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人間の地上生活に無くては成らない感覚機能(視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚)は、日々正しい扱い方をすることによって、魂心境を高める手助けになるのであります。 しかし現代人は感覚機能を個別意識として歪めて扱うことで、人間関係に軋轢が生ずるようになりました。 この個別意識への傾倒を改めない限り、感覚麻痺から目覚める事は難しいのです。 魂を個別意識に偏らせているものの正体は我欲であります。 我欲とは飽く無き自我への傾倒であり、全てを自分に帰結させんとする欲得願望(利己心の現れ)である。 欲求とは自分の為だけに何かを得たい衝動であり、その何かは物欲(所有欲)であったり優越感であったり羨望欲であったりします。 それらの欲求を得られなくなった時に忍耐が足りないと、自身の心の中から突き上げてくる衝動に耐えられなくなり、周囲の人々の気持ちを考慮しないまま、自分勝手な我儘を行使するのであります。 その我儘さえ行えないような状況になると、抑えられない衝動は他者に対する嫉妬となり怨恨となり、思い通りにならない腹癒せに他者イジメやパワハラ・セクハラ等の愚行に走るのです。 我欲は我儘な欲求を思い通りに行いたいという衝動の現れである。 地上社会には人間関係に於けるモラルがあり、社会人(公人)としての規律(ルール)があります。 この規律はお互いの生活を阻害し合わない為のルールであり、公人として踏み外してはならないボーダーラインでもあります。 この規律に於いて個人の自由を履き違えると、身勝手な言動は社会の秩序を壊し、歪んだ自己主張は人間関係を崩すのであります。 何れにしても我欲は公人意識(社会人としてのモラル)を度外視して、自分の我儘を押し通さんとする歪んだ個別感覚意識(一次元意識)に、自らの魂を凝り固めることになるのです。 このように感覚意識を狂わせるものは外部の誰かではなく、自分自身の内なる我儘(我欲)である。 この我欲の克服こそが本来の純粋個性としての正しい感覚意識を取り戻す鍵になるのです。 |