017 刹那は思考を捨てる
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我欲の危険な要素は、空間と時間の感覚を麻痺させる所であります。 一次元は点と線の世界であるため、空間に於いては此処(点)しかなく時間に於いては自意識(線)しかないのです。 今だけの喜び・楽しみ、今だけの怒り・悲しみ…。 一次元意識に魂心境を凝り固めた人間は刹那(今)の中に閉じ籠り、建設的な発想や未来に繋がる希望などを描く習慣が薄いのです。 刹那的意識(一次元意識)は思考が少なくなり、脳の働きが徐々に鈍くなるのです。 同じ悪しき思いばかりを何度も繰り返して、新しい発想が芽生えてこないのです。 必然的に心が狭くなる。 他人に与えた迷惑や障害は直ぐに忘れ去り、他人から与えられた不都合は何時までも根に持つ傾向がある。 こうしたことから他人に厳しく自分に甘い性格となりやすいのです。 刹那に嵌り込んだ感覚は、光を見失った旅人に例えられる。 暗闇の中を旅する人間の意識は、明日をも知れない暗中模索の中にあります。 足下すら見えない暗闇の道を只一人で心細く歩いている状況です。 今しかなく此処しかない雁字搦めの刹那の中で、未来への希望を描く訳でもなく、過去の清算(反省)をするわけでもなく、自分の存在理由を探ることもせず、他人の有り難みを感じるわけでもなく、自分の思いに正直に生きると言いながら、その自分の思い其のものが未だよく分かっていないのであります。 自分の心が分からなければ相手の心を読める筈もなく、自らの感覚が大いにズレていることに気付くこともなく、ただ目先(見える範囲内)の人々の失態を指摘して振る舞いを裁くことが、感覚麻痺を起こした刹那人間の憐れな姿であります。 心ある人間である以上は思考を捨ててはならない。 この思考は自己反省を成さしめる貴重なアイテムなのです。 何故々々問答は反省回顧を深める為に有用な思考回路である。 そうして刹那に嵌り込んだ人間を救済する命綱とも成り得るのです。 |