018 我流に踊る自己限定
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我欲に囚われる一次元意識人間は、物事に迷うことは少なくなります。 それは自分なりの考えしか持ち合わせていないため、他者の気持ちを思い悩むことが無いからこそ我が道を猪突猛進するのであります。 そうなると全てが自己流(自分中心)となり、我流の言動を全て正当化するようになります。 本来は周囲の状況を把握した上で、他者との整合性を思考するべきでありますが、自己主張しか正当化する事が出来ない一次元意識の人間は、我流の言動に終始することが精一杯なのです。 これは人間としての器量(心の容量)の問題でもありますが、心の容量が足りないが為に、他者の意見を取り入れる余地が少ないのでありましょう。 もともと心の世界は人類共通の概念であります。 自らの意志で認めた分(容量)だけ扱うことが出来る精神世界であります。 その広大無辺の精神世界を受け入れることなく、自分だけが認めた狭き範囲(思考)の中で、我流の限定意識(狭き思考回路)に踊らされる操りダンサーになっている。 これは自分の意思で自由に生きているように錯覚しているが、実際は自己限定の我流思考に踊らされているだけであります。 なぜなら我流思考には悪念(悪霊悪魔)が好んで憑依するのであり、彼等が取り憑くキッカケとして悪意アドレス(利己心の魔)を巣喰わせられるからであります。 そのため利己心に於ける頑固者は要注意人物である。 自分だけの主義主張を貫いてばかりでは、社会人としての分別が育つことはないのです。 幼い頃から自分勝手に遣りたい放題したい放題の我儘な性格のまま育てられた子供は、成人を迎えて社会の中に飛び込んだとしても、自らの我儘を自制することから労苦を味わうことになる。 つまり年齢だけ重ねた大人であっても、社会人としての公的立場では我流意識を放棄することが出来なければ、見た目は老齢の大人であっても未だ精神は幼い子供のままであると言うことであります。 |