019 慣れ親しみを考える
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感覚について考えておかなければならない大切な要素があります。 それは慣れ親しみに対する功罪であります。 新創世記では随所で感覚にも個人差があり感性の違いがあると語られてまいりました。 それは許容範囲の違いであったり、忍耐力・霊耐力の違いであったりします。 また長らく同じ境遇の中に浸っていると、感覚麻痺を起こして感性が鈍ることがあると言うことです。 こうした感覚の機能は、実は創造主が人間に与えられた慈悲なのです。 例えば苦しく辛い境遇にある人は、何時までも苦痛に耐えられるものではありません。 極度の苦しみ悲しみの中で死期を迎えた魂たちは永遠に浮かばれないのです。 しかし人間の感覚機能には耐え忍びの概念が付加されています。 この概念(耐え忍び)があるからこそ、全ての人間は諦めなければ苦難を乗り越えて行けるのであります。 痛みに耐え、苦しみに耐え、心労に耐えて、一段ずつステップアップするのである。 つまり耐え忍びを前向きに取り組む人間には、感覚麻痺は有用なアイテムになると言うことです。 魂の基礎研鑽には心身共なる摩擦(苦痛)が付き物です。 この摩擦(心労)が人格を高揚させる魂の糧となるのです。 ここで忍耐力が無い人間は簡単にギブアップして、外部の依存物に頼ることになります。 また霊耐力が無い人間は簡単に白旗を挙げて怪しげな霊能者や宗教家に頼るのであります。 そうして精神を益々軟弱化させ、忍耐力・霊耐力からは縁遠い人間になってしまいます。 忍耐力を磨く事は難しいことではありません。 同じ感覚を感謝して受け止め、前向きに取り扱い、そのまま生活に生かすだけである。 最初は辛く苦しいでしょうが、小さな範囲から時間を決めて自発的に乗り越える体験を、努めて重ねるだけであります。 |