023 思念の現象化は自我
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思念は自分を中心に物事を考える意識であり、想念は相手の気持ちを中心に物事を考える意識であると言うことでした。 また思念には創造する力が備わっていて、心の法則(因果の理法)に従って思いを現象化してくると言うことでした。 一般的に見て思念の現象化は個人的な自我となります。 強欲(我が強い)人間の自我は我欲となって、心の中を不足の念で充満させるのです。 欲しい欲しい…と思う意味合いは、足りない未だ足りない…と心に念じていることと同義である。 こうした不足の念が心を貧しく卑しくもさせて、いつしか多大なストレスを発生させる。 ストレスの正体は自我願望が得られないことで心の中に発生する思念ガス(不足の念)である。 この思念ガス(不足の念)が心の中に充満して、まるで風船がパンパンに膨らむようにストレスで膨れ上がり、飽和点に達した時に何らかのキッカケさえあればストレス風船が破れて感情の憤激が収まらない状態になるのです。 この場合、キッカケとなった周囲の人々を感情的に口撃する人間(一次元意識)が多いが、それ以上に普段からストレス(不足の念)を溜め込んできた自我者(一次元意識)本人の心にこそ、主原因を見い出さなければならないのです。 そうでなければ永遠に収まらない(無くならない)感情憤慨である。 人間は個性(個別意識)を有した自由意思を創造主から与えられています。 しかし人間は転生輪廻の過程で自我を超越しなければならない。 何のために生まれ、何ゆえに生きているのか…。 この正しい解答を掴み取ることが魂の小悟であります。 そうして早々と自己限定の殻を打ち破り、本来の神の子としての霊性を取り戻す必要がある。 その為の地上人生であり、その目的の為の転生輪廻であります。 思念の現象化は自我を自己表現(個性化)するのであり、正しい自己表現は個別分断化には無く、人と人との心と心を結ぶ大調和にあると言うことです。 |