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024 思い込みが齎す悲劇
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思念の現象化は自我を自己表現(個性化)するのであり、正しい自己表現は個別分断化には無く、人と人との心と心を結ぶ大調和にあると言うことでした。 また人々を感情的に口撃する人間(一次元意識)が多いが、それ以上に普段からストレス(不足の念)を溜め込んできた自我者(一次元意識)本人の心にこそ、主原因を見い出さなければならないと言うことでした。 思念ガスが風船のようにパンパンに膨れ上がる原因は、常日頃から心に溜め込んだストレスである。 しかし何故こうなるまで心を放置したまま生きてきたのか…。 これは一重に自己反省の習慣が無いから思念ガスの溜め込みが続いていると言うことです。 反省回顧の習慣が無い人間が頼りにするものは自己認識であります。 自己認識とは自我を尊重する心であり、我儘(我が思いのまま)の意思を気を損ねた子供のように意固地を張った心である。 この思い込みが齎す悲劇は社会に溢れています。 思念の思い込みが信念にまで高まると、もう他人の言葉(忠告)には耳を傾けようとはしません。 何処までも我儘を押し通そうと頑固に気を張るようになります。 ここに自己反省の習慣があれば周囲の人間の気持ちも介して言動を軌道修正することが出来るが、頑固者(一次元意識に凝り固まる魂)には改心の余地が無いのです。 自分は全く間違っていないと思い込んでいる。 相手が全て間違っていると決め込んでいる。 こうした一方的な思念の傾向を長らく修正(自己反省)をしないまま、魂が固着するまで放置してしまったのです。 全ては視点が自己中心にあることが発端であります。 こうした歪んだ魂の傾向性を何時か何処かで軌道修正しなければならない。 そうでなければ思念ガス(思い込み)が当人の人生を狂わせることになります。 魂を一次元意識に凝り固める人間の末路は、窮屈な思考回路とストレス(思念ガス)の困苦(感情無統制)であります。 |