031 礎として必要な尺度
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尺度とは何か…。 それは物事を見る基準である。 しかも最小単位としての個人的な基準であります。 人間は対象の価値を推し測る際に、何らかのモノサシ(個人的な経験値)を用いて確認しています。 だからこそ人によって微妙に結果が異なるのです。 その時に我儘(一次元意識)な性格のまま目先の物的価値を推し測るなら、我儘の部類や本人の興味関心に近い結果を得ることは当然の理であります。 ここに同じ物的価値であっても、人によって価値観のズレが生じる事実がある。 しかしどの尺度(価値観)も本人の経験値としては、本人の主観に立脚点を置く限りは間違った解答ではなく、寧ろ本人の自己主張に関しては紛れもない正論であると言うことが出来ます。 それでも経験値には高下があり深浅があり、見た目の解釈に拘る人間も居れば、物事の真相を突き詰めて見い出す人間も居るのであります。 つまり尺度(経験値)は人によって形態も意味内容も、考え方も捉え方も異なることがあるということを知らなくてはならないのです。 こうした個人的な尺度(価値観)を得手勝手に行使していては人間社会は成り立たない…。 相互の意思の疎通は有り得ない…。 これでは共存共栄は難しいのが現実であります。 そこには人類共通の尺度が必要になります。 相互の価値観を歩み寄せる共通概念は、同じ物的価値を共有する認識形態が必要となります。 これが礎として必要な人類共通の尺度(価値観)であります。 その代表格は『愛』である。 愛には個別の価値を統合し融和させる力(希望)があり、また愛には異なる価値観を歩み寄せる力(勇気)があるのです。 こうした人類共通の尺度(愛)を見失わない限り、地球上に世界平和は必ず実現するのであります。 この地球上に現在も争いが絶えない理由は、未だに人類が個別意識(個人の尺度に拘り囚われる心)を強引に押し付け合う意固地な魂段階(一次元意識)に在る事を、如実に物語っていると言うことであります。 |