032 尺度の拘りは自我流

 

 

人類共通の尺度は社会生活を円滑に送る為の潤滑油でもあります。

しかし個人的な尺度を押し通す人間が多くなれば、人間社会には摩擦が起き紛争が絶えないのです。

個別意識の自由意思は好き勝手な横暴を貫けば互いに衝突することになります。

自我尺度への拘りは他者の意見を遠避けて、何処までも自我流を押し通そうとする…。

これは自我流が悪いと言うことではなく、様々な意見(他者尺度)を精査して互いに歩み寄る心の余地が必要である。

自我流は自分だけが真理となり、他人の尺度が偽りと成り易いのです。

ここに偽善が横行すれば、思い込みや拘り囚われが頑なな独占欲に左右されて、本人主体の決め付けが横行するのです。

しかも厄介なことに、その決め付けは偽善(自己主張のみに忠実な善)による自由意思であり、他人の気持ちが見えないまま(見ようとしないまま)他人に良かれと思いながら、却って他人に迷惑な自己尺度に陥っている。

本来は他者の気持ちを想い遣りながら、お互いの尺度を歩み寄せる前段階を用意しなければならない。

その事前努力を怠ったまま独善による自我尺度を強行するなら、人間関係は治ることなく互いに不信感が募るだけであります。

自我流に拘るのは一次元意識の極みである。

一次元意識は自己認識のみの個別意思の中で生きている人間である。

自己反省も他者配慮も縁遠い魂心境で生きている人間である。

物事の視点が自己認識のみに在る限り、そこに他者の気持ちを想起する余地は無いのです。

それは無反省人間の最たる特徴であり、自我尺度に拘り囚われる人間の憐れな姿であります。

自我流を個人的な特徴にするなら、自らの個性を衆生に提供することで個性は役割へと姿を変えるのです。

この個性と役割の違いは誠に大きく意識の相違は天地ほど違います。

自我を個性としか思えないのなら、貴方は未だ一次元意識の人間であります。

しかし自我を役割の一つだと想えるのなら、貴方の魂心境は二次元意識に入っていくのです。

 

 

 

 41 むすび大道 【自己確立編】 一次元