036 我を増す偏見と曲解
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一次元意識の魂心境に我欲が停滞する理由は、決め付けと強欲強引が本人の心に根強く蔓延る魂の傾向性にあるからであります。 決め付けは本人の自己主張に基いた偏見となって、物事の見方や捉え方を狭くするのです。 また強欲強引は利己的感覚に基いた曲解となって、他者の主張を自分に都合の良い方向に捻じ曲げて解釈して、善意さえも悪意の枠の中に押し込んでしまいます。 偏見も曲解も一次元意識の魂心境に留まる者の迷妄意識でありますが、彼ら自身(一次元意識人間)が自らの魂の傾向性を見い出さない限り、それらの醜態(偏見曲解)が治まることはないでありましょう。 自己反省の習慣が無い一次元意識の人間に改心を迫っても、持ち前の偏見と曲解の魔の手で善意を悪意に変えられてしまいます。 自らの我儘を自由意思だと主張し、横暴を極める我欲を人的権限だと強要する…。 自らの過ちを隠す為に他者の間違いを誇大表現し、自分の失態を誰かの影響だと豪語して責任転嫁するのであります。 魂心境を一次元意識に凝り固めた人間は、端から他者の意見に聞く耳を持ちません。 他者の意見を参考意見として受け取る事が出来る心境は三次元意識の人間である。 参考意見とまで行かなくとも自分の主張以外に他の主張もあることを認めた上で、利己的な損得勘定(良し悪し)を選択する心境は二次元意識の人間である。 しかし一次元意識の人間には其処に至る迄の自己問答が見当たらないのです。 つまり他者の意見を心の内に取り込んで意味内容を精査する部分(自己問答)が欠落しているのです。 そのため自己主張を金科玉条の如く堅持したまま、端から意固地な反発(他者批判)を繰り返すのであります。 こうした一次元意識の偏見と曲解は当人の我儘を増長する。 昔は街の中に数人しか居なかった偏屈者や頑固者が、世紀末を迎えた21世紀初頭には数え切れない程の我儘人間(一次元意識)が街に溢れています。 |