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039 尺度固定が悪視の種
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自らの未熟さを薄々感じている者は、その未熟さを他者に知られないように心の奥底に隠し持つと言うこと…。 そうしてその未熟さが露見しかけると、手当たり次第に周辺汚濁を始めると言うことでした。 しかし周囲の評価を気にしない人徳者は、他者から何かを言われても感情的に成らず、状況を確認しながら直ぐさま対策を練ると言うことでした。 こうした違いから推測が出来ることは、自らの尺度を個別意識で固定するものは思考回路も窮屈となり、自らの尺度を対象に合わせて臨機応変に変えて行ける者は、自分の意思で心の調整をしながら多角的な視野で物事を捉えられるのであります。 本来の人間の在るべき姿は尺度の固定ではなく、時代や環境や境遇の変転に合わせて、臨機応変に尺度を変えて行ける人徳を育むべきであります。 そうでなければ一次元意識の魂心境に凝り固まった心は、常日頃から魂の傾向性が悪視に偏りがちであります。 人を見れば泥棒と思うような先入観は間違っています。 自分以外の誰かの言動に端から失敗を予想するような先入観も間違っています。 それは人間が本来は悪に靡くのが自然であるとする性悪説に近い思考意識でありまして、仮に性悪説が的を突いているのなら、その性悪説を真実と思い込む本人の魂心境が悪視に片寄っている事実を、暗に本人が暴露していると言うことになります。 他人の失態ばかりを追い掛けて予想する者は、本人の心の中に悪視の塊(悪霊悪魔)が巣喰っている証拠でもある。 それは他人に在るのではなく本人の心の内に在るのです。 心には創造する力が備わっている。 悪視を繰り返し重ねれば、その悪視の念力が相手に作用して、相手は悪視に近い運命に取り巻かれることになる…。 そうした悪視の乱用で悪人を創造する一次元意識人間こそ、悪を量産する悪痕(悪意の主原因)としての罪作りの大罪を犯しているのです。 |