043 知識は生活を援助する
|
精神世界に構築した基礎知識が綺麗に整理されていれば、他者の意見を素直に聞き入れる姿勢(心の余地)も育まれる…。 これが社会人としての最低限のルールであり、他者配慮としてのモラルでもあると言うことでした。 知識が心の中で整理整頓されていれば、適材適所の知恵として知識は重宝されることになります。 同じ材料(知識)を持っていても人のために善用する人や、自分のためだけに悪用する人も居ます。 知識そのものは価値中立的な存在であるため本来は罪は無いが、その扱いに於いて善用悪用共に使われてしまうのです。 ここに知識の使用者に於ける徳性の高下が現れるのです。 同じ知識でありながら人を助け人を生かし人を励ます為に知識を扱う者と、人を見捨て人を縛り人を恐喝して脅す為に知識を扱う者では、天地(天国と地獄)程の扱い方の違いが出るのです。 厳密に言えば人間は日々の体調や精神状態によって知識の扱い方が変わってくる…。 昨日は自分に利する為だけに知識を使い、今日は誰かの幸せの為に知識を正しく使い、明日は社会の発展の為に知識を善用すると誓う。 また昨日は誰かの手助けの為に知識を使い、今日は自分の幸せの為だけに知識を歪めて使い、明日は利己的な楽しみの為だけに知識を扱う。 様々なシーンで色々な心の変化に苛まれて、知識は善用と悪用に使い分けられるのであります。 少なくとも個人的な成長の為に扱われることが望まれますし、その成長が社会への貢献に役立つものとして善用されるべきである。 その時に知識は魂の生長を促がす正しい知恵として重用され、その正しい知恵(人のための善用)は本当の智恵(愛に即した善用)となり、真実の智慧(神の叡智に繋がる善用)に少しずつ近付いて行くのであります。 こうして知識の善用は自他共に生活そのものを援助するものとなり、社会人としての徳性を高める貴重な財産(善用知識)と成るのです。 |