050 知識昇華が智恵を育む
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知識は収集の材料であり、知恵を生み出す為のキッカケ(機縁)と成ります。 多量の知識を心の中に溜め込んだ人間は、他人との比較に優位な立場を得んとして、知識の多さや言葉数の優位に奔走して、他者批判を繰り返すことが知性の証明であるかの如く行われています。 そのため末法の世には批判家や評論家が多くなり、上っ面な知識で多彩な揚げ足取り合戦を繰り広げているのです。 揚げ足取りは物事の真髄には触れずに、表面的な解釈の中だけで相手の主張を蔑む行為であります。 物事の真髄は常に棚上げされて忘れられ、物事の例え話が比喩(例え)に成らず、失言や迷言ばかりを切り取ってクローズアップされ、詰まるところ人格否定まで追い込むのであります。 こうした悪態がマスコミの中で平然と行われ、インターネット上でも無責任な炎上が繰り返されるのです。 全ては知識のみに頼った似非知識人たちの文化的素養の低さに原因があります。 知識を物理的な形態としてしか認識することが出来なければ、心の中の深い世界観(精神構造)は理解が難しいのです。 それを形式的な知識のみで推し測ること自体に無理があるのです。 表面的な知識のみで争われる問答は言葉遊びにすらなりません。 言葉の語尾を追い求める尻取り合戦(揚げ足取り)は、言葉の意味内容には関与しなくとも、語尾だけ繋がれば成立するのです。 他人の失言や迷言ばかりを追い求める迷妄者(現代のマスコミには多く潜む…)が、知性の時代(20世紀)を上っ面な知識偏重の時代に変えてしまったのです。 21世紀(霊性の時代)を生きる覚者たちは、知識の内容を精査して正しく使い分ける知恵の方を磨く必要がある。 そうした地道な作業(反省回顧)を積み重ねる貴方であれ…。 真実は掘り下げれば掘り下げただけの真価が掴めるのです。 知識の昇華を果たさなければ人類に明るい未来はない。 もはや一次元意識を克服するより道はないのであります。 |