051 霊性時代は学徳の薦め
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人生には学びが必要である。 学びのない人生は精神の枯渇であります。 人間の生長は精神の豊かさにあるのです。 心が貧しければ普段の生活も貧しくなる。 形だけ上手に整えて虚しさを隠しても心の内部は隠しようがない…。 その心の空隙を埋め合わせるものが学問であります。 日本の歴史上で日本人が急速な近代化に向かった時代は明治維新後でありました。 それまで武士や特権階級のみが受けていた学問を、全ての国民に解放したのが明治時代であったのです。 福沢諭吉が編纂した学問のすすめは当時の人々に広く受け止められて、身分や階級に関わりなく学問を受ける自由が提唱されたはずです。 そのため多くの人々が同じ学びを受けられるようになり、人間としての共通認識が底上げされ、それと共にライフスタイルも向上して、その恩恵として現れてきたものが精神の文明開化であり、物質の生産性に於ける近代化であったのです。 つまり学問の普及が時代を押し上げた形になりました。 共通認識を正しい方向に高めれば時代性も正しい方向に高まるのです。 これと同じ理屈で、人間の徳性を正しい方向に高めれば時代性も正しい方向に高まるのであります。 人間社会を支配するものは何時の世も共通認識である。 21世紀初頭が人心を大混乱に陥れた理由は、人類の共通認識が八岐大蛇(一次元意識)に支配されたからであります。 人類は徳性を高めて共通認識の魂心境を昇華(アセッション)させなければ、息継ぎさえ出来ないまま混迷の大海原に溺れてしまうでありましょう。 明治期に巻き起こった学問の普及と同じような畝りで、学徳の普及を巻き起こすことで、人類の精神性は格段に昇華(アセッション)するのであります。 霊性時代の幕開けは学徳の普及から始まるのです。 徳育を放棄した過去の怠慢を大反省して、本当の輝ける未来を呼び込み引き寄せる必要があります。 人間を輝かすものは身に付けた装飾ではなく、精神の浄化(徳性の清浄化)にこそあるのです。 |