056 学徳の基礎は人間観察
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それでは学問と学徳の違いは何でありましょうか…。 それは自分を中心にして思考を展開するのが学問であり、他者を中心にして思想を展開するのが学徳であるのです。 思考は自意識という尺度を用いて世の中の在り方を推し測ることで、此処では思念を中心にした思考回路が働くのであります。 思念は正に自己中心的な思考回路であるが、一定の尺度を用いれば物事を判断し易いのは事実ではありますが、その尺度(自意識)は何処までも自己流見解の域を越えられない。 思想は自分の思慮(尺度)と相手への配慮(愛心)を使い分けることで、此処では想念を中心にした他者配慮が働くのです。 想念は正に他者を中心にした思想回路でありますが、自分の現状と相手の状況に兼ね合わせた最も良い選択肢を使い分けることが出来る心境であります。 思念は一次元意識に魂心境を固定する自意識であり、想念は一次元意識を超越して二次元意識の魂心境に達する他意識であり、更に秩序と協調を臨む三次元意識に魂心境を超入させる可能性を開かしめるものであります。 そうなると自意識(一次元意識)ばかりに依存していては、決して見えない世界があることに気付くのが他意識(二次元意識)なのです。 つまり学問は自意識で思考を自己展開する学びであり、学徳は他意識で思想を展開(使い分ける)する学びであるのです。 要するに学徳の基礎は人間観察である。 この人間観察は先ず汝自身を知ることから始まり、自らの現状(魂の心境)を把握した上で、私見(自意識)を差し引いた正確な人間観察をする必要があると言うこと…。 此処が最も大切な部分であり、常に気を付けなければならない配慮でもあります。 大抵の人間は私見を優先することで人間関係を捻じ曲げ狂わせております。 自己流見解の狭き私見(固定観念)は他者の人間性にレッテルを張り付け、イメージを固定して自己限定の殻の中に自意識を閉じ込めるのであります。 |