057 何故何故問答の行く末
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学問と学徳の違いは自意識(一次元意識)と他意識(二次元意識)の違いでありました。 学問(自意識)は個別尺度を固定して世の中を探るため解答が得易いことは事実であります。 しかしその解答は固定観念として魂心境(個別尺度)を凝り固めた解答に成りがちであり、安易な妥協は時に本来の自分を見失わせ、同時に他者の気持ちを踏み躙る選択肢を採りがちであります。 従って解答を急ぐ学問は、その固定観念の強さに比例して、社会秩序を無視した強権で世の中を混乱させるに至るのです。 その反面の学徳(他意識)は人間関係を重視するが故に、相手の気持ちも考慮した解答を導き出さんと努力する為、打算的な解決を嫌って自他共に最善を尽くす方向で解答を模索するのである。 そのため何故何故問答に時間を費やして深い真理を求めることになります。 これが魂心境を高める学徳の在るべき姿(徳性)であります。 自意識尺度(個別意識)による安易な妥協は人間関係を離別(混沌)に向かわせるが、他意識尺度(愛他精神)は魂の奥底で人間関係を結ぶ努力を怠らない為、時間は掛かるが確かな信頼関係を築くことになる。 信用(一次元意識)と信頼(二次元意識)の違いは、学問(一次元意識)と学徳(二次元意識以降)の違いでもあるのです。 短略的な思考回路は浅はかな人間関係しか得られないが、長期的視野で思想回路を深められたなら、思想も哲学も宗教にも本来の生命(いのち)が宿ることになります。 此処に学問と学徳の違いは、旧時代(20世紀)と新時代(21世紀)を選り分けて、総ての生命の魂心境を底上げするアセッション(次元昇華)を果たすのであります。 人類は古き時代の固定観念を捨て去らなければ新時代(岩戸)を開く事は出来ないのです。 片寄った学問(自意識)を捨て去って固定観念(一次元意識)を克服しなければならないのです。 その為のツールが魂の学びを深める学徳(徳性開発)であります。 |