077 自我欲と個性愛の違い
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間違った自力(自由意思)の在り方が八岐大蛇に強大な力を注いでいると言うこと、歪んだ自力(個人的な我儘)が八岐大蛇を呼び込み引き寄せていると言うことでした。 一次元意識に魂心境を凝り固めた人間には自己反省の習慣が無いから、自らの意思に対して忠実に生きているつもりなのでしょう。 その信念が強いが故に、或る種の信仰と同じような盲信に落ち込んでいるのです。 そうして自分教の教祖は容易く自己自身の信念を曲げようとせず、他者からの横槍を信仰の反逆のように感じて更に心を凝り固めてしまうのであります。 こうした生き様は潔いと言えば其れ迄ですが、単に自分だけの狭き心の中で完結している世捨人(一次元意識)を、人生という大舞台で演じている迷妄者に成っているだけのことです。 自我は自分だけの個性であり、自己認識の枠の中だけで完結している凝固人間(魂の物質化)である。 その凝固した心を解凍すれば視野は広がり、他者の気持ちも少しずつ理解出来るようになるのです。 その時に目から鱗が剥げ落ちるような人生の廻向が始まるのです。 自我欲は自分だけの欲得願望追求であり、個性愛は人の幸せのために自分の個性を自主提供する心掛けであります。 つまり自我欲は一次元意識の人間であり、個性愛は二次元意識以降の魂心境であります。 要するに一次元意識の克服は自己反省が必需品であり、他者の存在を自分と同じ心がある人間として把握することから始まるのである。 こうして見ると自我欲と個性愛は、心の在り方が180度違う方向に向かっているのです。 そうなると一次元意識の人間が心に抱く自我欲には、残念ながら他者への協調は有り得ないし期待出来ないと言うことです。 これが一次元意識に魂心境を凝り固めた人間の大きな特徴(心の傾向性)であります。 真実の愛は相手への思慮配慮なくして有り得ない…。 相手が居てこそ始めて愛物語は始まるのであり、残念ながら自己愛は愛ではなく、自己中心的な我儘の追求に他なりません。 |