080 自力研鑽は小悟に至る
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人間は三次元世界(物質肉体世界)に生きております。 多人数の共同社会で様々な個性の特性を生かして、人間社会を運営しているのです。 三次元世界にあっては三次元意識で公私の区別を弁えなければならないのです。 しかし21世紀を迎えた人類は三次元世界に居りながら、多くの人々が自己限定(一次元意識)を克服出来ず、自己都合(二次元意識)を超越出来ない魂心境にあります。 これが地上社会の秩序形態を混沌状態に歪めている原因である。 自分勝手な我儘を自由意思の権利だと勘違いして、利己的感覚のまま自己中心的な人生を生きることが個性の尊厳であるかのように思い違いをしているのです。 人間の自力は権力を奪う為に磨くものではなく、あくまでも社会人としての自分の役割を正しく果たす為に磨かれるべきであります。 外目には同じ自力行使に見えても、三次元意識を基準にした自力(個性)と、一次元意識を基準にした自力(我儘)では、精神面の魂心境は天地ほどの懸隔があるのです。 一次元意識として追い求められた自力は利己心の権化となり、二次元意識として追い求められた自力は利得心となりがちである。 しかし三次元意識として追い求められた自力は、多人数社会の中での自分の役割を磨くことになり、公私の区別を弁えた自力は、徐々に個別意識(自己認識)が薄れてクリアーな魂心境に向かうのであります。 こうして正しい自力行使は自己研鑽を通して、やがて小さな悟りを迎えることになります。 これが自己限定の殻を心の内側から打ち破った者の覚者の悟りであり、宗教的には小悟に該当します。 小悟に至れば本当の客観視が理解出来るし、自らの運命を潔く受け入れることが出来るようになります。 人間としての正しい自己確立は小悟(本当の客観視)にあり、その小悟を得る為に日々の自己研鑽を地道に積み重ねる心が自力であります。 自分勝手な我儘を追い求めることなく、社会人としての使命と役割を磨くことが自力研鑽である。 どうか自力の本義を誤って解釈しないで致だきたい。 自力は神の子の自覚を取り戻す為に地道に磨かれるべき自己研鑽であるのです。 |