084 我視では汚点が見えない
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心に蔓延る我儘(自分勝手な振る舞い)を放逐して、本来の魂の自然治癒力を働かせる必要があり、それは本来は難しいものではなく、反省回顧(心を顧みる)して魂に付着した罪穢れを清掃浄化(本来の真人間に戻る)するだけの話であると言うことでした。 しかし魂心境を一次元意識に凝り固めた人間は自己反省が出来ないのです。 なぜ自己反省が出来ないかは簡単な理由で、それは常に我視(自己中心的視点)で物事を見ているからであります。 我視(自己中心的視点)は基準(尺度)が自分であり、自己尺度(自己限定の色眼鏡)で社会を見れば、自分が認識出来る世界観(色合い)は肯定出来るが、認識を越えた世界観(色合い)は認める事が出来ず否定するのである。 つまり我視は其れ以上でも無く其れ以外でも無く、我視そのものに合致していなければ、我視者からは市民権(肯定)を与えられないという窮屈な結果となるのです。 こうした我視者(一次元意識)が自己反省をしようとしても、窮屈な我視(自己中心的なモノサシ)では自分の基準が正論となる為、自分で自分の良し悪しを判断するなら基準である自分の言動は全て正義と成らざる負えないのです。 従って我視(一次元意識)では自分の汚点が見えない状態になるのであります。 だからこそ魂心境が一次元意識に凝り固まった人間は自己反省をすることなく、自分勝手な解釈で物事を押し通そうとするのです。 これは或る意味で分かり易い性格である為、一次元意識人間は徳の高い人格者からは扱い易い人種にもなります。 それを考えると損得感情に終始する二次元意識人間の方が厄介な人種とも言える…。 二次元意識を克服出来ない人間は利害関係で画作を繰り返すだけ扱い辛い場面が往々にしてあると言うことです。 しかし一次元意識人間は放っておくと何処までも自意識過剰のまま突っ走って玉砕する運命にあります。 その為に誰かが外部的に軌道修正してあげなければならないという、可なり面倒な結果を周囲の人間は背負わされることになるのです。 |