089 周辺汚濁は罪悪穢れ隠し

 

 

好き勝手に生きてきた一次元意識人間の行き着く先は精神の物質化であり、無意識・無気力・無責任の代名詞のような性格に支配されると言うことでした。

また人間にとって穢れとは気が枯れることであり、遣り甲斐や生き甲斐が無くなると、魂の奥底から溢れ出す生命力が停止するのであると言うことでした。

全ては個人的な問題なので、個人の努力精進しだいでは克服することも可能であります。

しかし魂心境を一次元意識に凝り固めた人間は固定観念の居心地が良いのでしょう。

その分だけ周囲の人間に多大な迷惑を掛けていることも事実である。

一次元意識人間が固定観念を死守する為に行いがちな愚策は周辺汚濁であります。

それは自分だけ罪穢れが目立たないように周囲を同じ罪穢れで汚すという、病的な自己保守行為を行なうのです。

それを行われる周囲の人間たちには誠に厄介な人間となるのである。

良い言動を逆恨みして悪しき印象(レッテル)を根付かせようとするのです。

また他人の小さな失態を大きな過失に見せようと画作するのである。

やがて其れらの悪行を正当化して他人にも強要するようになるのです。

この悪行の正当化に個人主義の人権を振り翳す行為は、迷妄者(一次元意識)として末期症状に至っている事実を物語っております。

もう既に自己自身の醜態を客観視することが出来ない状態にある訳で、そうした自己中人間の利己的尺度では自己反省の余地が全く無い状態であるのです。

その悪態を正当化する間は魂を悪霊悪魔に解放した状態になっていて、世の中を大混乱せんと画作する悪霊悪魔の手先として操られる運命にあります。

この様な迷妄者が改心する為には、余程大きな事件事故病気等に遭遇しない限り、彼らは目を覚ませない所まで深刻な迷妄状態が続いているのです。

恐らく彼ら迷妄者たちは命に関わる大病を患うか、死線を彷徨う大事故に遭遇するか、身動きが取れない程の大きな負債を背負うかしない限り反省回顧の機会が訪れないでありましょう。

 

 

 

 41 むすび大道 【自己確立編】 一次元