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095 個人の自由に奢る迷者
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魂心境を一次元意識に凝り固めた人間は、自由意思の捉え方に於いても自我流であり、言動に於いても自己中心であります。 本来の自由意志には段階がありまして、個人の事しか念頭に無い意識は自由意思(利己的な思い)である。 その利己的な思い(自由意思)から個人的な我儘や気紛れな主義主張が薄れた意識は自由意志(愛他的な志し)と成るのです。 利己的な思いには耐え忍びの意思が弱く、自らの我儘を克服する意思が乏しいのです。 この場合の自由意思は自分勝手な我儘となって、周囲の迷惑を顧みない独善独歩の道を突き進んでしまいます。 こうした一次元意識人間が社会人として上位に立つと大混乱が生ずるのであります。 しかし本人(一次元意識人間)は自分が物事の基準として思考を展開しているため、トラブルの発端が常に自分であることを見抜けない精神状態になっております。 従って自分勝手な横暴の主原因となり、大方のトラブルの火元が利己的な自由意思である事に気付く事もなく、周囲の人間(被害者)の心を傷付けている事などお構いなく、我儘(利己的な思い通り)な自由意思を押し通そうとするのです。 こうした盲目の迷妄者(一次元意識の自由意思)が目を覚ます為には、自己反省の習慣を身に付ける必要があります。 自らの言動を顧みる習慣を身に付けて、客観的視野(第三者的な視野)で自己自身の現状を把握しなければ心理(我儘な自由意思)の全容は見抜けないのであります。 これが二次元意識人間ともなると、自由意思の中に相対的な他者の存在を確認することが出来るようになりますが、この場合の自由意思(二次元意識人間の自由意思)は未だ一次元意識の利己的感覚が抜け切れていないが故に、他者批判や他者否定となって感情的な言動に繋がることが多くなるでしょう。 利己的な自由意思が愛他的な自由意志となるのは、三次元意識の魂心境を得た公的意識人間の思考回路を得た時であります。 個人的な自由意思に驕り高ぶる人間は、未だ魂の現状が一次元意識(自己限定の殻内)に留まっている迷妄者であることに気付けない精神異常者であるのです。 |